人が亡くなるということ

雑記
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人生は自分が思っているよりも遥かに短いものです。

先日叔母が亡くなり葬儀に参列してきました。享年69歳でした。

叔母との思い出は正直さほどなく親戚付き合いも年賀状程度しかしていませんが人の死はとても切なく悲しものです。

叔母は体が弱く病気がちで喘息に悩まされていた記憶があります。

大変な苦労もしたことでしょう。

叔母の人生はどんなもので幸せだったのでしょうか?それは私にはわかりませんが事実4人の子供を育て孫もいるということは次の世代しっかりとバトンを渡したということ。

それだけでとても意味が有り幸せな人生だったのではないでしょうか。

最後病院のベットで息子娘がみんなが揃うまで息を引き取らなかったそうです。

みんなが揃うまで待ってみんなに看取られたみたいです。

何度も声を掛けると息を吹き返したと叔父が教えてくれました。

最後は家族みんなに看取って貰いたかったのでしょう。

久々に叔父や従妹に会いました。最近では親戚の誰かが亡くなった時ぐらいしか顔を合わせなくなっていますが、なんかみんなに会えてうれしかったです。

叔父さんも年を取ったせいか涙もろくなってしまってました。

それだけ叔母の存在は大きいものなのだったのでしょう。

見送られる姿を見ているとみんなに悲しまれ惜しまれている事実、たくさんの人の涙につられました。

自分の身近で人が亡くなると改めて自分の人生について考える機会を与えてくれるものです。

自分がこの世を去る時どんな心境でどれだけの人が悲しみ惜しんでくれるのか、想像してしまいます。

それは遥か先の事なのかもしれないし、すぐなのかもしれない。

そう考えると1日1日の大切さを思い出させてくれる葬儀でした。

いつも無尽蔵のように考えてしまいがちですがホントに人生は短い。

1日は一瞬で終わり1週間はもぉ終わり1か月はすぐに経ち1年はあっというまに終わってしまいます。

何も考えずに生きていては後悔してしまうかもしれません。

自分の限られた人生をどう生きるのか息子たちに何を残せるのか。

自分が納得の行く人生だったと思えるよう日々の生きなくてはなりません。

人の死はたくさん考える時間を与えてくれるものでした。

17年前自分の父親がなくたった時もそうだったと思い出しました。

父親が亡くなった時はじめて父の偉大さに気づき感謝できるようになったの覚えています。

家族の大切さや人の大切さにようやく気付いたのもその時でした。

やはり人の死は残されたものを成長させてくれる最後の送り物なのかなと思っています。

ホント改めて人の命の尊さを考える機会になりました。

滅多に会わない親戚も会うとなんだか嬉しい気持ちに何故かなりましたし、叔父の姿を見ていると自分の父の姿を久々に思い出させてくれました。

人の人生の終わりはたくさんの残されたものを成長に導いてくれるもので人生について考える時間を与えてくれるものです。

人の命は尊いものです。

しかし生きるもの皆いつかは死にます。

残されたものがこれから何を考えどう生きるかが大事です。

残りの人生をより良いものに。

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